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タイ人代理母出産で波紋。オーストラリア人夫婦ダウン症男児の引き取りを拒否 [ニュース・テレビ]

代理母出産の法整備や当事者間の取り決めの不備によって起こってしまった悲しい事態。
報道によってご存知の方も多いことでしょう。

◆この悲しく複雑なニュースの概要は以下の通りです。

子供が欲しいけれども出来ないオーストラリア人夫婦が、タイ人の代理母に子供を代理出産することを依頼したことが事の発端。
オーストラリアでは、法律で代理母出産は認められていないため、このオーストラリア人夫婦は海外にその手段を求めました。

タイでは代理母出産が認められていること、その費用が比較的安くすむことからタイ人の21歳の女性に代理母出産を依頼しました。
このタイ人女性は双子(男児と女児)を身ごもりましたが、 このうち男児が出産前の検査でダウン症であり先天性の心疾患であることが判明。
すでに妊娠7か月でしたが、オーストラリア人夫婦はこの時点で、タイ人の代理母に中絶をするように希望を出しました。

しかし、タイ人の代理母は中絶を拒否。
無事に男児と女児の双子を出産しましたが、オーストラリア人夫婦は女児のみを引き取り、ダウン症の男児の引き取りは拒否しました。
このことからオーストラリアとタイ国内だけでなく、全世界に波紋が広がることになりました。

多くの論調は、このオーストラリア人夫婦がダウン症の男児を引き取らなかったことに対して

「ダウン症の男児の身を引き取らなかったことは非人道的だ」
「そもそも子供を物のように扱っていることが不快」

というものであり、私もこのニュースに接した時はまず最初にそう思いました。
ですが、さまざまな周辺の情報や意見を聞いていくと、これは非常に複雑で法整備の問題、宗教観、倫理観、発達した科学に追いついていない人類の心の問題などが見えてきて、 単純に当事者を責めるだけでは済まないのではないかと思い至りました。

◆この事態に対して現在わかっている情報

「ダウン症の男児が現在置かれている状況」

今回の件で、もっとも辛く被害者であるといえるのが、生まれてきたダウン症の男児です。
この子が現在どのような状況にあるかというと・・・

この男児は、タイ人の代理母が引き取って育てることになりました。
そもそもこの女性が代理母になることを決心した理由が、自分の2人の子供を育てるためだったようです。
母子家庭であるため、十分な収入源がないためだったとのこと。

この報道には少しホッとしました。
この子が大人の都合で放置され、育児放棄されてしまうのはあまりにも気の毒です。

またこの男児は、ダウン症に加えて先天性の心疾患を抱えていることも分かっています。
手術費用は高額になるとのことですが、この情報に世界中から支援の手が差し伸べられ、手術費のみならず養育費もかねてすでに2000万円を超える寄付金が集まっているようです。

「代理母であるタイ人の女性が置かれている状況」

オーストラリア人夫婦との間では、妊娠した子供に障害があった場合「中絶する」との取り決めがあったとも言われています。
このため、「契約に違反しているのではないか」という考え方もあるようです。
しかし、そもそもタイでは中絶は違法なので、この取り決めには問題がありました。

また、女性の気持ちを考えれば、安易に中絶に踏み切ることは難しいでしょう。
男児がダウン症に加えて、先天性心疾患だったことから、寄付金が多額になっていることも問題を複雑にしています。
タイ人の代理母が「寄付金目的に事実を公にしたのではないか」という、うがった考え方です。 

でも、このタイ人の代理母の女性も代理出産というお金がからむビジネスだったとはいえ、男児に次いで2番目の被害者とも言えるのではないでしょうか。
この女性を責めるのはあまりに酷な気がします。

「代理出産を依頼したオーストラリア人夫婦の状況」

今回の事態で最も非難を浴びているのが、このオーストラリア人夫婦でしょう。
契約上、障害があった場合は中絶するとされていたとはいえ、健康な女児の身を引き取り、先天性心疾患を抱えたダウン症の男児を引き取らなかったことは、人道上また倫理観からして責められることはある程度やむを得ないことかもしれません。

「子供が欲しい」という純粋な気持ちがあったとは思いますが、こういった事態が起こることも十分想定されるわけで、熟慮にかけていたとも考えられます。

「科学の進歩に法整備だけでなく、人類の考え・心がついていけていない」

これが、今回の報道に接して上記のようなことを感じました。
今後もおそらく代理母による代理出産は続くでしょう。
ですから、このような悲しい出来事が起こらないようにオーストラリアとタイだけでなく、各国間の十分な法整備と規制はなされるべきです。

また、今回のことは科学が飛躍的に進歩していることにもよります。
以前は出来なかったことが出来るようになってしまったことで、人類のいままでの倫理観が覆されてしまうようなことも起こり得るということです。
科学の発展は喜ばしいことではありますが、どう活用するのか・また問題がある場合にはそれを使わない勇気も必要なのかもしれません。 



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